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Introducing Word Lens

(via QuestVisual)

「す、すげえええええ!!!11」ってなるiPhoneアプリの動画。

必見な感じ。

すげー!

(bucketから)

"ベースラインの実装がないのはマイナスだが、ベースラインの実装ができてようやく0になる。とにかく速やかに0に持って行って、そこから1にする方法を考えなければならないのだが、0にすることが目標だと0にすらならないのではないかと危惧しているのだ。士気を下げるつもりではないのだが、個人的には全体で0 (研究的に新しいことが一つも試せていない) だったら参加自体取りやめたほうがいいと思うし、参加するならもっと新しいことに挑戦したほうがいいんじゃないかと思う (もちろん、単に思いついたことを実装すればよい、という意味ではなく、先行研究をサーベイした上で、誰もやっていないことに挑戦する、ということ)。挑戦した上でうまく行かないのは仕方ないし、転ぶなら後ろ向きではなく前向きに転んだらいいと思うのだ。"

転ぶなら後ろ向きではなく前向きに - 観月橋日記 (続生駒日記)

"研究、開発というものは「具体的な目標」を持ったものでなければならない。
ところが「目標」と「希望」をはき違えてしまう。
「希望」とは、良い仕事をしたい、スカッとした研究がしたい、本質的で基礎的な仕事をしたい、といったその研究の結果の性質に対するものである。研究の課題ではなく、結果の性質について考えるのが「希望」だ。
私はこの現象を、「研究について」研究する=メタ研究と呼ぶ。メタとは「高次の」といった意味である。言語学にとって「メタ言語」は必要であるが、研究にとって「メタ研究」は役に立たない。この思考の罠にはまると、まだ出来ていない結果の性質について思い悩みはじめる。そして研究は行きづまる。必ずそうなる。
「目標」とは、具体的であり、研究が行きづまっても、目標そのものが見通しや、指針を与えてくれる。目標を下げたり、上げたりすることも具体的な目標が明快であれば出来る。"

金出武雄の「問題解決の7か条」|第1回 できる奴ほどよく迷う—-「希望」と「目標」

"諦め切れないからこそ、目を逸らすことができないからこそ、それは弱点であり続ける。

 打ちのめされた人は、希望を手放したのではない。
 希望し続けているからこそ、先に進みたいと願うからこそ、此彼の隔たりを痛感し、自身の不足に打ちのめされる。絶望もする。

 今いるのとは違う場所を目指し、今以上を求める限り、〈できない〉ことはなくならない。
 

 続ける人と、途中でやめた人の差はわずかしかない。
 例えば、途中でやめた人は8回やり直したが9回挫折した。
 続ける人も9回挫折したが、しかし9回やり直した。
 続ける人は途中でやめた人よりも、ただ一度だけ多くやり直したに過ぎない。"

ぼくは読むことも学ぶことも苦手だった/弱点は継続するための資源となるということ 読書猿Classic: between / beyond readers

"古武術系の人は呼吸法について、「カラダの本能的な動きのうち、唯一じぶんでコントロールできるのが呼吸なのです」という。だから、呼吸法に意味があるのだという。その言葉を聞いた当初は、よくわからなかった。

なにがコントロールできるのか、なにがコントロールできないのか。そういう観点で世の中を眺めた経験はそうない。そういう観点でみると、なにがわかるんだろうか。

社 長の成功談で聞く類型のひとつとして、目標はコントロールできる形にしておかなければならない、というものがある。営業職の人に、○○円を売り上げろ、と いう目標は筋が良くない。売上金額というのは、営業職ひとりでコントロールできるものではないからだ。彼がコントロールできることは、何日間で何人と会 う、とかそういうことだ。

テニスコーチのガルウェイはこう言う。「あなたの打ったボールはどのくらいの距離でアウトしている?」彼は、 「ボールを枠内に入れろ」とは言わない。生徒がコントロールということを理解するための、重要なヒントを提供している。なにが今、コントロールできること なのか。コントロールするためには、何をわかっていないといけないのか。

コントロールに関する勘違いをなくすことで、生活はだいぶスムーズになるんじゃないかと思う。コントロールできないことについて直接考えない。コントロールの範疇にないものについて、コントロールの影を読み取らない。

わ れわれが何か悩んでいるとき、そこには自分がコントロールできないものが絡んでいることが多い。初心者が、ボールを枠内に入れようと悩んでも、その点につ いてのコントロールスキルはないのだから仕方がない。まずは、自分の行った行為が、どういうふうにズレを起こすのか。そこを知るところからだろう。

怒っ ている人がたくさんいる。他人に、悪意のある振る舞いをされて腹を立てている。たとえば、政治に腹を立てている。ほんとうに、それは悪意なのだろうか?相 手は、そんなに状況をコントロールできるような力があるのだろうか?それは単に無知や無能なのではないだろうか?だとすれば、こちらはどのようにそれに対 して、自分のコントロールの範囲で手を打つべきか?

どうも自然と、自分のこと、世の中のことに対して、人はコントロールを見いだしすぎる ようだ。そんなにコントロールできることはないし、みんなもそんなにコントロールしていない。コントロールのできる範囲について、冷静に、独自のラインを 見極められる人は、なんか”クール”だ。"

コントロール幻想 - β2 (via flatmountain)

2011-05-08

(via gkojay)

(suzukichiyoから)